福島の復興と帰還困難区域について

最終更新日 2024年4月11日 by kente

2011年3月11日、午後2時46分18秒、東北沖を震源とする巨大な地震が発生、海溝型の地震などからも東北沿岸の多くは津波が発生し多くの人々が犠牲になったことは記憶に新しいことではないでしょうか。
津波は、何度も海岸を襲い恐怖を感じた被災者も多いかと思われますが、津波が起きるメカニズムはどのようなものであるのなんとなくは知っているけれども説明するとなると難しいと感じる人も多いといえましょう。

 

津波が来るときには必ず引き波と呼ぶ現象が生じる

海溝型の地震が発生すると海底では盛り上がりが起きる部分と沈みが生じる部分が広範囲に起きる、この盛り上がりと沈みが海底の表面にある海水に与えられ、振動が大きな波を作り上げて海面は大きな波となり現れます。
津波が来るときには必ず引き波と呼ぶ現象が生じるのですが、ネットの動画サイトでは東北地方太平洋沖地震の津波の全貌を捉えた動画が数多く掲載してあり、川の激流と同じように海側に流れる引き波の様子を目にすることができます。
やがて、沖合から大きな波が海岸線を襲うと最初は小さな波でも徐々に波のパワーは拡大して大波となる、一艘の漁船が津波に襲われながらも沖合に逃げる様子も動画サイトの中で紹介が行われており、その漁船に乗っていた漁師さんはとにかく沖に逃げるしかない、動画を見ていると無謀のように見える映像も、沖に逃げたから助かったなどを伝えてくれています。

 

海にいた人々よりも陸地にいた人々の方が多く大地震の恐怖を感じた

当初、海上保安庁の巡視船も沖合を航海中で、地震発生から津波が来るまでのシーンを動画サイトの中にあるコンテンツで見ることができるのですが、海にいた人々よりも陸地にいた人々の方が多く大地震の恐怖を感じたことといえましょう。
この東北地方太平洋沖地震は、遠く離れた南関東地方でもある神奈川県などでも震度5強を記録しており、自然の威力がどのくらい大きなものかを痛感したという人も多くいます。
都内のマンションの中にいた人がビデオカメラで揺れている様子を記録した動画もあるのですが、都内には高層マンションが数多くあり高層階ともなると揺れを超えるようなものではなかったと想像できますし、建物が倒壊しなかったのが不思議だと感じた人も多いことでしょう。
地上30階建ての高層マンション、あれだけ大きな力で大地が揺れれば建物は倒れてしまうようなイメージですが、近代の建築物は大きな揺れが起きても倒れることがない、免震構造や耐震構造を持つので大丈夫なのです。

 

免震構造・耐震構造・制震構造について

免震構造・耐震構造・制震構造などいろいろな構造体があるようですが、免震とは地震により生じる可能性のある建物や家具の破損を防止する目的で建築物を作る工法です。
耐震は大きな揺れに耐えることを意味しており、台風などの強風による揺れも含まれるといいます。
耐震構造では建築物の壁に筋交いを入れるなど揺れに耐えることができるよう工夫された工法を意味するもので、制震は地震の揺れを抑える目的作られた工法の総称です。
免震構造とは異なり、地面に家の土台が接合しているため大地の揺れが直接建物に伝わるけれど、建物内部に重りやダンパーなどの制震材を導入しているので揺れを熱エネルギーに変換して吸収できるメリットがあります。

 

福島の現状

この東北地方太平洋沖地震では、建築物の倒壊も数多く起きているようですが福島県では原子力発電所が大きな被害を受け放射能漏れが生じた、1986年4月26日に発生した旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の放射能汚染を連想した人も多いのではないでしょうか。
最近は、東北地方太平洋沖地震の復興も進んでいるとメディアの中ではいわれているのですが、福島県の原子力発電所の事故においてはいまだに家に帰ることができない地域も残されており、生涯自分の家に戻ることは二度とできないなどともいいます。
グーグルマップにはストリートビューと呼ぶ便利な機能がありますが、原発近くの主要道は通行ができる場所も多くありますが、主要道から繋がる道路の入り口部分にはゲートが設置されていて車で侵入することが禁止されている映像を目にすることがあります。

 

帰還困難区域と呼ばれる立ち入り禁止区域

ゲートが設置して中に入ることができないのは車だけでなく、人も同じであり帰還困難区域と呼ばれる立ち入り禁止区域の入り口に設置してあるものです。
2020年3月14日には、JR常磐線の富岡駅~浪江駅間が運転再開となり、福島県のいわき駅から仙台駅までが全線開通したことになり、復興の兆しが見えたことの証明になりますが、帰還困難区域はいまだに現状のままであり定期的に、決められた時間だけ自分の家に戻ることが許されているものの、我が家に戻り生活を送ることはできないわけです。

 

まとめ

帰還困難区域は徐々に範囲が狭まっている、将来的には帰宅ができて以前と同じように我が家で生活を送ることができるようになるのではないか、このような予測はあるものの、いつから戻れるのかはいまだにわかっていませんし、放射線の線量が安全な数値に下がるまでには完全なる復興になったとはいいきれないのではないでしょうか。

 

出典元:アトックスの事業/活動内容のまとめ